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現在の大河ではなく、昔の大河の話です。
携帯に入っている『※痛い動画(笑)』を見ていたら、18・9の頃の成実を、小十郎が『成実様』と呼んでいて、あれれ?となりました。
そうだっけ?
『成実殿』じゃなかったっけ??
※痛い動画(笑)
大河ドラマ『独眼竜政宗』のDVDを見ながら、家主が携帯動画でパソコン画面を録画したもの。
殆ど成実。大内定綱が頭を丸めて参ったシーンの、超不機嫌な成実がお気に入りvV
画質・音質はすごく悪い。
時の流れと共に、大分記憶が薄れつつあるんですが、あれは泥蟠斎だったかな?
なんか、こう、にくったらしい物言いをしてたおじいちゃん。別人だったかな?
なんにせよ、天正日記など読んでると、政宗様と泥蟠斎が仲良さ気で、ちょっと和む。おじいちゃんと孫?
家主としては、成実と右馬を『おじいちゃんと孫』扱いしてるんですが、殿と泥蟠斎も良いかも知んない。確か、温泉にも一緒に行ってたはずだし…。
何故家主は、晴宗さんをちゃんと『おじいちゃん』として見れないのか、我ながら不思議です。
別に嫌いじゃないんですよ。むしろ好きなんですよ。
でも、何故だか、晴宗さんは『お父さん』『お兄ちゃん』としては見れるのに、『おじいちゃん』というイメージがわかない…。
とりあえず、泥蟠斎、名前がめんどくさい……。
先程ウィキを見てて気づいたんですが、重綱役って高嶋政宏氏だったんですね。
全然気づいてなかった!!Σ(●Д◎;)
独眼龍、今となっては芸能界に超疎い家主でも知ってるくらい有名人がゴロゴロ出てて、ビックリしますね。
当時は謙さんでさえ大して知られてない役者だったって事がまず、信じられないですもの。
あまりにも鈍足過ぎて、今回何処から読み始めたのか…というより、今回っていつが今回?て具合で。
大まかな感想になりますが…。
伊達騒動関係の本を読みに、府立図書館へ行って参りましたー。
久しぶり。
もうそこって所でバスが突然道を曲がり、何何?と思いつつ慌てて降車したら、図書館の前の道真っ白。
消防出初式やってました…。
通行規制されてるわ、紅白の幕張ってあるわで、なんだか図書館がとても遠かった(●∀´;)
自動書庫から2冊出してもらったんですが、時間がなかったので、とりあえず『伊達顕秘録』なるものを途中まで読んで来たよ。
綱宗が藩主の座を引き摺り降ろされる所まで。
ほぼ全ての漢字にフリガナ振ってあって、読みやすい。ありがたい。
晴宗・実元兄弟。
好きです。
お互いよそよそしい程、好きです(●∀´*)
ところで、鏡清院は『伊達実元継室』とよく書かれていますが、じゃあ前妻は誰なんだろう?
上杉入嗣の話は破談になったのだし、上杉家の姫ではないはず。
その間に一体誰が…?
しかし、個人的には『継室』が間違いであった方が嬉しい。
天文の乱後、実元さんの嫁探しをするのはきっと晴宗さんですよね。その兄に反発して、誰も迎えずに時は流れて、ついに晴宗さんは自分の娘を推して来た。
断ったら、可愛い姪を否定しているかの様に。
立場的にも断り辛いし。
娘を嫁がせてまで仲直りしたがる兄にも同情。
仕方ないから結婚してやる…そんな流れだったら萌える。
兄の下に就きつつも、内心上から目線、常々決別の機会を窺っている、危うい関係。そわそわ。
そんな二人が理想です(●∀´;)
実元さんはTOPに立ちたいのではなく、家を出たいだけ。
兄上にひと泡吹かせたいだけ。
腹黒い感じでお願いします。
晴宗さんは、なんとなく穏やかな常識人の印象なんですが、父とも息子とも対立し、上の方の弟達にも嫌われ、何かホントに災難だ…。
父と息子が似た者同士ってのがそもそも災難だ……。
あの父を見て育ったから、息子が心配で、何かと口出してたら、ウザがられちゃったのかな?
下の方の弟妹には好かれていたのだろうか?
姉…2人だっけ?3人だっけ??
上杉入嗣計画を掘ってみると、実元母は中条氏と考えた方が自然ですね。
う~ん…早まったかな?
大崎義宣に傾き過ぎて、周りがちゃんと見えてなかった……。
陽林寺行きてー!
土の下で親子喧嘩してんのかな?
父側に就いてはいましたが…仲良くは、なさそうな、気がしますです……。
その前に、政宗記もまだ途中だし(いつからだ!?)、亘理伊達家文書もまだ全然読めてないんですが…。
京都府立図書館に伊達騒動関係の本があるのを以前確認済なので、この休み中に行くかぁ!
と意気込んで、図書館の開館日をチェックしたところ、家主の冬休み以上に休館が長く、行ける日が一日もありませんでした…。
せっかく近くの平安神宮に初詣(元旦には行かない主義)のついでに行こうかと思っていたのに、残念。
しかし、もう一度蔵書検索し直してみたら、お目当てだった本以外にもいくつか出て来て、楽しみが増えました♪
『異説伊達騒動』とか『伊達騒動を推理する』とか、俗説と違った解釈が読めたら良いな。
兵部様目線での伊達騒動…あったら最高なのに。
日記とか残ってないのかしら?
綱宗視点とかね。
いつかはSSを書きたいのです。
勧善懲悪じゃない伊達騒動、人間味あふれる兵部様を書きたいのです。
秀宗が忠宗と連歌詠んだりしてたんですねー。意外と仲良かったのかな?仲悪そうな(兄→弟が一方的に)イメージ持ってるのは、家主だけかな?
そして、善応殿の写真にきゃっほーvV
綱宗に会いたし…。
宇和島と大崎が姉妹都市だなんて、そこに義宣の存在が…とか妄想しかけて、多分岩出山の関係だろうなぁと現実に帰りました。
もう、大崎と聞けば義宣と返すくらいの勢い。現実逃避でしょうか?
何でも良いから、義宣情報が欲しいです。
そういえば、今朝、大掃除ついでに正統世次考からの自分メモをチラ見していたら、
『うちの小僧丸を遣わすから高兼の娘婿にして大崎を継がしてね。義直が家継いだけど家衰えていってるしさぁ。じゃないと助けてやんない。』
と、意訳し過ぎな書状があって、家主の稙宗感て変わってないなぁ…と思いました。
もはや、原文がどんなだったのかわからん!
当然、兵部様についても何かあるだろう、と期待に胸膨らませつつ、お寺のサイトを見てみました。
田村家の菩提寺だとか、忠宗の側室:房姫が建てたとか、初代は瑞巌寺の和尚だったとか、ふむふむと思いながら説明を読んでたのですが…。
『宗良公の子である田村建顕公(再興田村家二代、初代一関藩主)』
え?
初代が田村建顕って…兵部様、無視??
解説の中の政宗様とか、忠宗とか、田村家の当主達とか、みんな『○○公』と書かれてるのに、兵部様だけ呼び捨てなんだ。
忠宗が政宗様の次男だとか、宗良が孫だとか書かれてるのに、兵部様が政宗様の子である事は書かれてないんだ。
母上の木像を安置しているお寺のわりに、悪意を感じますね。
一ノ関に兵部様の居場所はないのかな?
でもね、家主は思うのですよ。
一般に知られてる伊達騒動が真実な訳じゃない。別に、兵部様を善人にしたい訳ではないけど、悪い事は兵部様に押しつけて四国に流して、残った田村は善人ですって考えは、甘過ぎると思うな。
忠臣蔵だって、家主は赤穂浪士を忠臣だなんて思わないし、吉良さんが悪人だとも思いませんよ。実際、浅野内匠頭の方が『藩主として大丈夫?』な人だったという話もありますし。
物語として伊達騒動や忠臣蔵を描いた人は凄いと思うけど、それを史実と捉えちゃダメですね。
真実が知りたいなぁ。
当時の人はもう生きてないんだから、永遠に不可能な話ではありますが。
歴史は勝者が作る。誰が言ったかは存じませんが、まさにその通りですね。
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