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伊達好きねこたの歴史関連や創作物についての呟き処+創作小説置き場(もちろんフィクション)です。
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一ノ関の兵部様
2011.12.23Friday
一ノ関訪問に向けて(3ヶ月も先ですが)、駅から徒歩で何処か行けないかなーと観光スポットを探していたら、兵部様のお母様の木像を安置するお寺を発見。大慈山祥雲寺。
当然、兵部様についても何かあるだろう、と期待に胸膨らませつつ、お寺のサイトを見てみました。

田村家の菩提寺だとか、忠宗の側室:房姫が建てたとか、初代は瑞巌寺の和尚だったとか、ふむふむと思いながら説明を読んでたのですが…。
『宗良公の子である田村建顕公(再興田村家二代、初代一関藩主)』
え?
初代が田村建顕って…兵部様、無視??
解説の中の政宗様とか、忠宗とか、田村家の当主達とか、みんな『○○公』と書かれてるのに、兵部様だけ呼び捨てなんだ。
忠宗が政宗様の次男だとか、宗良が孫だとか書かれてるのに、兵部様が政宗様の子である事は書かれてないんだ。
母上の木像を安置しているお寺のわりに、悪意を感じますね。
一ノ関に兵部様の居場所はないのかな?

でもね、家主は思うのですよ。
一般に知られてる伊達騒動が真実な訳じゃない。別に、兵部様を善人にしたい訳ではないけど、悪い事は兵部様に押しつけて四国に流して、残った田村は善人ですって考えは、甘過ぎると思うな。

忠臣蔵だって、家主は赤穂浪士を忠臣だなんて思わないし、吉良さんが悪人だとも思いませんよ。実際、浅野内匠頭の方が『藩主として大丈夫?』な人だったという話もありますし。

物語として伊達騒動や忠臣蔵を描いた人は凄いと思うけど、それを史実と捉えちゃダメですね。
真実が知りたいなぁ。
当時の人はもう生きてないんだから、永遠に不可能な話ではありますが。
歴史は勝者が作る。誰が言ったかは存じませんが、まさにその通りですね。

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