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という挨拶は不向きかと思われますが、ここ暫く雨が多かったものの、晴天に恵まれた本日、愛しの成実・玄松院・綱宗(仙台3代)の命日で御座いますな。
綱宗の御霊屋は、震災後まだ近づけない状態だと伺いましたが、その後どうなんでしょうか?法要とか行われてるのでしょうか?
玄松院のお墓は何処に行ってしまったのでしょうか!?(*●Д;*)
小噺と絵、間に合いましたので、お暇な方はどうぞ御覧くださいませ。
さて、ザネたんが生まれるに必須の御両親、実元さんと鏡清院。
家主のイメージでは、実元さんは兄弟多いけど、下の弟妹を可愛がるような性格ではなく、むしろ小さいのが『あにうえ~』って寄って来たら、黙って逃げちゃう様な人。
その兄であり、鏡清院の父である晴宗さんは、子供好きで、弟妹の面倒も良く見て、11人の我が子達も世話役に任せず、自らあやしたりご飯食べさせたりお着替えさせたり、あれこれ世話を焼いたんじゃないかと。
小さい子相手だと、人目も憚らず赤ちゃん言葉になったりとかだと良いなぁ…。
そんな父に育てられた鏡清院も、子育て上手なんだけど、実元さんは我が子可愛いと思いながらも上手く出来ずに時宗丸(成実)にさんざん泣かれ、『儂には無理じゃ…』と投げ出そうとすると、鏡清院や右馬達が寄ってたかって励ましてると良い。
『叔父上!時宗丸がおしめを替えて欲しいと泣いております!』
『殿!頭をしっかり支えて…この様にお抱きくだされ!』
みたいなね。
結果的に、ザネたんは父上大好き、誰よりも尊敬しております、な子に育ちます。
伊達家の人間だとか、当主に近い親戚だとか、そんな事はどうでも良い。
伊達実元の子息である事が、ザネたんの誇り。
そんなザネたんは、養子の宗実にとって誇り。
宗実は、本当の父(政宗様)より、成実を尊敬していて、成実に近づきたいと思っていて、晩年病気がちだった成実の負担を軽くしようと頑張るんだけど、空回りして、逆に迷惑かけて、兄上(忠宗)に叱られるとか。
しかし、その兄上も、成実頼り過ぎだろう。
政宗様が亡くなるまで現役だったので、いきなりポンと藩主の座を渡されて、えーえーどうしよう!?だったかもしれないけど、病気を理由に引退したがってる成実を『そなたなくして私はどうすれば良い!?』みたく引き留め引き留め、結局成実は引退した4ヵ月後に死去。
忠宗がさっさと引退許してくれたら、もっと長生きできたんじゃないのーっ!?(●Д◎;)
で、その忠宗の六男、三代藩主綱宗。
20歳やそこらで蟄居させられた、不運な藩主。
一般に、吉原で遊び過ぎたとか、酒に溺れたとかで、藩政をおろそかにした為って言われてますけど、家主は違うと思うなぁ。
別説で言われてる、天皇と従兄弟の関係だったから幕府が仙台と朝廷の結びつきを恐れて、ていうのを踏まえて、更に、趣味の方面で遊び過ぎたのもあると思っている(●∀´;)
絵とか彫刻とか刀とか人形とかいっぱい残ってて、芸術系に才能あふれまくってる綱宗なので、そういう趣味に時間を割いてるうち、政を疎かにするようになって、『こんな藩主の下でやってられるか!』て流れに。
で、その後50年程、品川で(?)過ごす事になる綱宗ですが、『やった!これで芸術に専念できる!!』てポジティブシンキングだったら良いと思っている。
そんな家主の綱宗観です。
実際、すっごい塞ぎこんで凹んでたりしたら申し訳ない……言うだけならタダ♪
そんな彼も大好きな家主ですが、実元さんやザネたんの院号・菩提寺『雄山寺』が『大雄寺』に改名するハメになった原因が綱宗だと思うと、本人が悪い訳じゃないけど、綱宗め!!という気分になりますな…。
ところで…実元さんて、誕生日わかってたんですね。一週間前くらいに知りました(遅)
成実の誕生日も、記録しておいて欲しかった……。
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